記事を書く
記事を書く
「記事を書く」ってテーマで記事を書く。
記事を書くっていうのはブロガーにとって行である。(いつからブロガーになった?)
そう、日本古来からある精神修養法としての行として捕らえるとわかりやすい。(固いな。。)
ブログとはただ書くという行為そのものになりきって没頭しきるのである。無我無心である。
「書けない」だとか、どうでもいいのある。無我無心になろうとすることも余計である。雑念が浮かんでもいちいち「あぁ雑念が浮かんでダメだ」などと考えたり、浮かんだ考えを「雑念」だとかレッテルづけしたり、なんとしようとしたり全部余分である。
雑念があるならあるでそのまま行じるのみ。
初心者だとか玄人だとか。書きたいネタがないとかあるとか。これも余計。
修行というのは、何も考えずに、ただ行ずるのみ。
理屈もなにもないのである。
例えば、禅の修行者は日々、日課の行として、毎日掃除をする。
「昨日もここ掃除して綺麗じゃん」といった「記憶」に惑わされたり、
「これに何の意味がある」といった「意味」に捉われたり
「今日は疲れてるし、、」などと言い訳を創案したり
まあ通常、人とは
そんなものである。
いまここに集中できず、心ここにあらず状態では本来の持っている力は発揮できませんね。
行とは
なんやカンやの理屈はいったん置いて置いておき、理屈に先んじてにただ行ずる。
自分の判断はいらない。行とは半ば強制的なものである。形からまず入る。慣れるとそれが無意識的な行為となり、努力している感覚もなくなる。行為ではなくなり、出来事と一体化した現象となる。
武術やどんな仕事でも始めたての見習いはたどたどしく必死に努力し、仕事なりなんなりの動作を覚えようとする。反復の練習で身体が慣れると、意識して努力せずとも合理的に楽に自然体で動ける様になるのである。
ブログ以外でも仕事でも家事でも始めは慣れぬ内は大変やけどなんでもそうなれば楽やね~
っていう
ブログのことをあまり知らないワィが
独自な視線で記事を書くことの記事を書いた記事でした。