暫くおな封するで候。【11日目】
おな封11日目。
性欲死んだ。性欲は死ぬのか?いや死ぬはずはないので表面に浮上してきていないだけだ。
しかしエロ封印しただけこれほどおな封印が容易になるとは思わなかった。
人間は改めて環境の産物だと思い知った。
エロ封以前は、エロ動画見るか迷ったり、ムラムラを押さえようとしたり、筋トレ必死になったり、走ったり、ヨガったり、ティムポに無意識に伸びる手に、反対の手で「何しとんねん!」とかガチで説教したりしててキティガイ沙汰だった。大変だった。
それがエロ封したおかげで特に何か努力した訳でもなく11日まで達成できた。
元々性欲はあまり強い方ではないのだと再確認。
性欲が良い悪いとかじゃなくこの心身の変化に素直に驚いている。
以前までは言って見ればメディアによって捏造された偽物のムラムラであり性欲だったと解釈する。
お菓子のCMを見て脳に食欲をそそらせるアラートを出させるような巧妙なマーケティング商法のごとくにまんまとエロ動画によって脳にこのムラムラを解消する為にはオナニーしなければならない!アラートを出させまくっていた。
私たちは本物の身体的な空腹ではない、偽の空腹だったり、身体の欲する健全な性欲ではなく捏造された性欲だったりに、情報社会にいると惑わされやすい環境にいる。
あらゆる情報に晒されているからまあ嗜みを知らないと大変だな。
。。。
とりあえず今日で11月入った。
おな封印はもう暫く意識的に続けていこうと思う。
息するかのごとくもう意識せずに自然に、無意識に出来ると確信出来るまではもう少し
意識してやろうと思う。
あらゆる習い事はそうだ。最初は意識してやってぎこちないがだんだんと無意識で出来るようになるから努力がいらなくなるのだ。
おな封に関しては無意識に出来るようにして、また新たに意識的に出来る作業をまた色々していきたいのだ。
とりあえず今月は、経済的な消費行動を1ヶ月記録を取ってみると決めた。
急に今月はお金がテーマだと直感された。
あと睡眠のデータも取っていこう。
睡眠については割と長年の研究者なので色々また発信できたらと思う。
・・
今日ある投資家の本を読んでたら一如という言葉に出会った。
一如とは、仏教で言う万物は一つと言うような生命の真実を表した言葉だ。
森羅万象は一つであり何一つ切り離された存在はない。全ては自分であり、他者は本当は存在しない。または自分と言う確固とした実体は存在せず、一つの生命存在があるだけだとする仏語だ。かなり自分色にテキトーに脚色しているが。英語で言えばワンネスって言葉になるのかな。
それを見た時、生命のエッセンスから観ずれば今自ずとやるべきことは直感的に分かると教わった気がした。
実際、宗教的な体験があるないとかはどうでも良いことだ。頭の理解だけでも構わない。
全てが一つとすれば利他的な行為や本質的な理解ある行いは自ずと環境に応じて行われるのである。
急に話が意味不明なまでに怪しい方向に走ったが、このブログは備忘録であり単なる徒然なるままの日記であり日々の記録である。ご容赦願いたい。
今月は一如ってことを頭の片隅に置いて過ごしてみようと思う。
ではまた
おっやす〜
■
よりよく生きない
真剣にならない
頑張らない
本気にならない
遊びを仕事にしない
気楽に
チンチロちん
遊びなのに一生懸命になるヒト族
公園で
思考のウソさ
先ほど起こった事を記録する。記憶に一応残そうと思って。
先ほど駅で、昔カットモデルでカットしてもらった時の美容師さんがいた。昔自分がキャッチされた様に、当時と全く変わらない様子で駅のモデルさんを探している風だった。
僕は一瞬声かけようとしたが躊躇した。今自分は金銭的余裕と相談して1000円カットかセルフカットで済ましている。カットモデルを又お願いできるかなと思ったのだ。
しかし、声かけるのに躊躇した。最近人と喋ってないからうまく喋れるかとか、今の体の調子が万全じゃない、話しかけるのダルイ。めんどくさい。などど、思考は声をかけない言い訳を作るのを観察した私。
そして一呼吸置いて、声かけようとしたのだが、目があったか、こちらの雰囲気を察せられたのか、その時僕はビビってしまい声をかけず、スルーしてしまった。
。。
そしてほんの2、3分後、知っているクレープ屋のおじさんに会った。車でクレープを売っている。僕は今やっているか聞いた。開店していいるどうかジェスチャーを交えて確かめた。
僕は何も考える事もせず、瞬時にこのクレープ屋のおじさんには声をかけれた。
一方、美容師さんには声をかけれなかった。
この違いは何だろう。
美容師さんは女で何となく敬遠してしまったのか?雰囲気か?いや女でも声かけれる人は簡単に声かけれる。
まぁ原因は何であれ、シュチュエーションやら人柄の雰囲気やら何やら、その時の状況が苦手だったのだ。
クレープ屋のおっちゃんに容易に声かけれたのは苦手な条件がなかったからだろうと思う。
対処法としては
、
苦手な状況に出くわした場合、私はできる、と思い込み、行動する。
その繰り返し、で苦手な事もいつの間にかできる様になっている。
人類の昔から自己改善方法としてよく使われる、とてもシンプルな方法だ。
思考と言うのは全く嘘つきだ。
思考とは性質から言って保守的だ
自己防衛機構であり、できない言い訳をこれでもかってくらい創造的に作り出す。
ポイントは思考を挟まず、決意し、できると思い込み、確信的に行動すると言う事だ。
初めはビビっていてもいいから。そのまま突っ込もう。
要は慣れだ。うん。
声かけって例を出したが、何でも同じだよね
最近、人生で瞬発力やスピードを大事にしたい私。武術でいう「居つき」の、状態に囚われてしまったことに対する考察をしてみた。
居つく、つまり、身体の動きが滞ってしまうとそこで流れが悪くなり、そこをつかれればやられる。
人生でも同じでやんすね
なるべく
居つく状態を克服して楽にスムーズに行きたいと思tった。
夜死んだように眠り朝起きた時に感謝
夜安らかに死ねる様に今日1日を悔いなく生きたい
夜は夢を見る時間じゃない
夜は死ぬ時間なり
夢も何も見ない
脳波もデルタ波である
それが理想
起きている時間に精一杯生きよう
やりたい事を本気でやろう
夜思いを残さず死ねる様に
朝目覚めることを期待せずに
新時代のテーマは自分らしく
そして実践である
【践】
そして
【為】
只(ただ)、行う謂い也。
知らんけど。
細かい雑学はよい。
実践とは
理屈からの解放である。
直に物事に触れる事。
いくら酒の知識が図書館ほどあっても一滴も舌に触れないのであれば絵に描いた餅に過ぎない。
そして過去いくら酒を飲んだことがある酒豪であっても、今目の前に注がれた酒を飲まなければ、いくら目の前の酒の味を記憶してようが、新たに差し出された酒を実際に舌に触れるまでは、酒を味わう事にならぬ。
最後、令和という新元号について。
令和の令は神の御告げを聴く。和の部首の旁の【口】は古語でサイと読み、祝詞や祈りなど重要な言霊を奉納する器。神のお告げを聴き容れ、魂が和らぐ。和らぐは平和に戻すという意味。私は令和という言葉にそんなイメージを自分勝手に重ねる。
神とは何か。
神は自己である。
自己は正直な自分の本心である
魂の正直な声を素直に聴き容れ自分と調和する。
そんなイメージ。
…似た様な記事が続く。
では。ノシ
遊びに出かけてきますノシ