認識しない動き
この世に答えはない。正解はない。正解があると誰かが思い込んだだけさ♪
ーーーどこかにある歌詞みたいですが違います。何となく書いただけです。
答えはないが、祈りは答えである。
真剣になる時分離のない行動が起こります。
迷いの無い即行です。
認識しない行為です。
理性では理解し得ませんが、問題ありません。
理解したがるのは、「私」の性質です。
「私」は常に物事を解釈し、整理分類し、安心しようとする、人間特有の自己防衛本能でありませふ。「私」はいつも緊張してます。
しかし動物的に言っても元々理性に頼らない方が自然体なのです。
そんなもの、元々ないのですから。
人間だけです。理性に惑わされているのは。
しかし、面白いのは、理性に、思考に、頼らないで、本質的に動き、生き生きと生きられている時には「私」はいませんので、何かを認識されませんが、
後で、あの時、自分が本質と一つであった、と認識し、自覚できる力を持つのは皮肉にも理性なのです。
存在を自覚できる力があるのは人間以外ありません。
動物は理性があるか無いか分かりませんが、無意識のままでありませふ。自覚はしません。
さて。
多くの人ふ理性に頼らないと生きられないと、思い込みんでおりますが果たしてそれは本当でしょうか。
よく観察しませふ。
考えずに行為している方が多いと思うのです。
パッと目に入り、判断が起こり、購入しました。
コンマ一秒くらいです。
考えない方が的確な行為ができたりします。
考えていると、目の前で起きている現象を見過ごします。
明日の仕事のことばかり考えていて目の前のケーキを食べるのを楽しむのを忘れ上の空、みたいなことが起きます。
思考を否定しているのではありません。
ただ思考は生きる上で最重要でもありません。
思考も、他の五感と同じです。
視覚は視覚だし、聴覚は聴覚だし、思考は思考です。
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閑話休題。
とりあえず行動するのが大事と世間でも言いますが、
もっと言うと
既に動いている。ノリノリで。
というのが本当でありましょう。
あまり未だ理性で思考を道具として扱うということをしていない子供は、ノリノリで動いてます。
意味がどうとか、失敗への恐れとか、何の為になるとか、
あまり考えませんね。
泣き、泣いた影を留めずもう笑っている。
せっかく一生懸命積み立てた積み木をワケもなく、大事にとって置こうなどの保身は一切なく、壊し、また積み上げる。
行為そのものが楽しいのだ。
大人のように世間で生きた経験が少ないので、記憶のストックが少ないからです。理性、思考の意味に対する囚われや恐れが少ない分、純粋なのです。
見るもの聞くもの新鮮で、思いのまま感じるままに飛びつきます。
大人に冷や汗をかかせるような分別ある理性のブレーキがあまり無い為、
命のそのまんまの即効性が生き生きを躍動しています。
理性の分別心は社会的ルールを守り円滑に物事を進める為の役割はありますが、あくまで役割であって、本質ではありません。
理性は自己防衛本能であって必要な働きは起きますが、防衛本能のバグみたいなもんで過剰に働く場合が多々ありますね。
今の人は思考に乗っ取られているのであります。
思考は道具であり、楽しむ為に使う方便であったはずです。
理性は、価値ある人生を求める、意味ある行動をしたがります。
それも良いでしょう。
でも生に本来理屈はありません。
元々、どんな価値も意味も役目も観念も付随してをりません。
物心つき、次第に分別が付き始めた頃から生きるのには、理屈が必要だという気がしているだけです。
生きるのには意味がないとダメだとか、価値ある人生を創造しなくては意味がないだとか。
そう教わったから。
本来はそのままです。今もそのはずであります。
そのままで完璧なはずで、意味も価値も無く、どんな観念に従う必要も、生きる上でどんな理屈も必要もなく、( ということはどんな理屈付け、解釈付けも自由であり)
生きることを楽しめばいいのであります。
・・・
理性のメカニズムから
話がとにかく逸れに逸れていきますのでこの辺で。
役に立つのかよく分からない記事を、そして読みずらい長文を
最後までお読み頂きありがとうございました。